高校中退の原因は、やりたいことが見つからなかったから

2018年6月30日

どもども、ぶうすけです。

ものすごく久しぶりの更新です。
色々とインプットしながらやっていこうとしたら、なかなか記事を書き出すことができませんでした。
こういう時期もきっと何度もあるんだろうなぁと自分に言い聞かせての更新です。

本記事は僕の原点であろうという、僕が高校を中退した時のことを書こうと思います。

なぜ今書くのかと言えば僕が中年にさしかかり自分の 10 代の若い時を俯瞰(ふかん)して、客観的に振り返ることができるようになったと思えたからです。
自分の失敗や挫折の経験はきっと、今困っている誰かの役に立つことができると思うようになってきたからでもあります。

まずは中学校時代から

中学生時代に僕は田舎の中学で軟式テニスにハマっていました。
僕に野球とサッカーのセンスが無かったのと、中学で初めて接した軟式だったけれども、テニスというスポーツが魅力的だったから始めた部活動でした。

平日は朝 6 時位から朝練に参加して夜暗くなるまで毎日軟式テニス部の部活動に参加しました。
土日も一日中部活の練習に参加するか、近隣の中学校で行われる地区大会へ参加するかで、一年中部活動をしているような中学生でした。

当時の僕は特段にテニスが上手いわけでもなく、全国大会にも出場したことが無かったくせに、僕はそこそこテニスのセンスがあるんじゃないかと勘違いしていました。
そして、中学3年生の頃には高校では硬式テニス部に入りたいと思うようになっていました。

高校受験時に僕は通学範囲としてはギリギリの 1 時間半はかかる私立の学校「八千代松陰学園」を受験しました。
なぜこの学校だったかというと、当時硬式テニス部がある学校が少ない中、テニスマガジンという有名な雑誌に練習内容が掲載されるような先生がテニスを教えている学校だったからです。

受験結果は単願受験ということであっさり合格でした。
合格発表後は週に数回、片道 1 時間はかかるテニススクールへ硬式テニスを習いにでかけるのが習慣となりました。
そんなこんなで、中学校生活は終了を迎えました。

高校生活スタート

高校に入って真っ先にしたことが、硬式テニス部への入部手続きでした。
私立校ということもあり、野球部・サッカー部・柔道部も有名な学校でしたので、スポーツ推薦で入部する生徒もかなりの人数がいる学校でした。

僕の入ったテニス部にも、硬式テニス経験者や推薦されて入部した同級生が何人かいました。
入学当初はそんな少し先を行っている同級生と上級生がテニスコート内で練習するのを、コートの外で球拾いをしながらうらやましい気持ちで見ていました。

練習は球拾いと走ることでした。
野球部かサッカー部と間違っているんじゃないのと思うくらいに走らされました。
さすが、テニスマガジンに載っただけのことはあります。
部員から「ヤツ」と影で呼ばれるテニス部顧問の先生は走ることを第一に考えていました。

8 面くらいあるテニスコートの外周をインターバルという方法で、ダッシュと助走の繰り返しで何十周もしました。
走って、走って、ゆっくり流してまた走る。
人生で一番走ったと思います。
僕は 25 歳の時に自然気胸で肺がつぶれたことがありますが、当時はよくもってくれたもんだと思い返します。

夏の合宿で選抜組へ抜擢

そんな走るだらけの練習のほんの少しの合間にボールを打たせてもらえることが少しずつ増えてきました。
そして夏休みに合宿が行われました。
よくある海辺の近くの合宿です。
たしかテニスコートが町中に広がる千葉県の白子町でした。

浜辺でも、もちろんダッシュ。
部活仲間同士を背中に背負ってダッシュ。
テニスコートに戻ってもまたダッシュ。

おしっこが血に近い色になったりして驚いたのを覚えています。
休憩時間にサントリーの「はちみつレモン」を飲むと生き返るような心地がしました。

で、その合宿で無駄な力の抜けた僕は、力まずにスイングできたせいか、ボールが狙った位置によく打てました。
自分でもこんなにテニスって簡単なものなのかという不思議な感じがしました。
ボールを打つ行為がすごく楽しくて仕方がありませんでした。

そして合宿後半の発表会の時に、先輩達とコートで練習できる、いわゆる選抜組のようなメンバーに選ばれました。
嬉しくってしょうがなかったですね。
友達を背負って浜辺をダッシュしても楽しいと思えるくらいでした。

合宿を終えて力尽きる

体力があった方ではないんだと今では思います。
細かったですし、食欲も旺盛ではありませんでした。
走ることに疲れたというか、一息ついてしまったという感じでした。
または、根気という一番大事なものを持っていなかったとも思います。

僕はどういうわけか、合宿を終えて家に帰ってから部活動をさぼりだしてしまいました。
合宿で少し上手くできただけなのにそこで自己満足してしまったのかもしれません。

合宿後の最初の練習日を無断でさぼってしまうと、もう次の日には練習に行くのが億劫(おっくう)に感じて、さらに 3 日も経つと今度は部活顧問の先生に怒られることを恐れる気持ちが沸き起こりました。
そして合宿後の夏休みの2週間、部活動に行かずに僕は中学校時代の友人と遊んで過ごしました。

テニス部をクビになる

夏休みが終わり、2 学期が始まりました。
部活の仲間に授業で会うと色々心配してくれました。

そして部活動の時間になり、恐る恐るですがテニスコートに向かうと、「ヤツ」先生は「お前はもう入れない」とコートから出されてしまいました。

当然だと思いました。
無断で 2 週間も練習を休んだんですし、仕方がないと。
何日かはコートの外から練習を眺めていました。

しかし、一向に練習に参加させてくれる気配がしません。
「ヤツ」先生は僕がひたむきに謝罪に行っても聞こうとはしてくれませんでした。

そんなしょげている僕を見て、クラスの担任の先生が一緒に「ヤツ」先生に頭を下げに行ってくれました。
どうかコイツを戻してやってほしいという担任の先生に対しても「コイツはダメです。クビです。もう入れない」とはっきり否定されてしまいました。

今振り返るとここが分岐点だったかも

僕はその時点で部活動に復帰することをあきらめてしまいました。

ここであきらめていなかったら、僕は実りのある高校生活を送れて、人として成長できたかもしれません。

テニス部活復帰をあきらめた僕は、学校の方針通りに部活動を辞めた者は校庭の草むしり 2 か月行うという罰みたいな掃除係をやって、文科系の美術部へ入部しました。
何かしらの部活動への参加が強制的な学校だったからです。

その後は美術部自体は特別楽しいものではなかったのですが、文化系の部活での友達もできて、それなりの高校生活を楽しんだと言えば楽しみました。

ただ、だんだんと学校を休みがちになっていた僕は高校 2 年の秋に、とうとう自主退学しました。
シャイな性格の僕は好きな女の子に告白もできないため 、彼女もいませんでした。
そのことでも学校が楽しくなかったのかもしれません。
決まった男友達数人しか本音で話せず、ウジウジウジウジしていました。

その頃には、わざわざ遠くにある学校に通うより、地元のガソリンスタンドでお金を稼ぐバイトをして、原付バイクに乗ってあちこち行っていることの方が楽しくなっていました。
今振り返れば、これからの大事な自分の将来を設計することをあきらめて、その時に楽しいことに夢中になることを選択したようなものでした。

勉強には興味が持てない。
学校にいる必要性を感じない。
やりたくないことを、周りのみんながやっているから自分もやって当然とは思えませんでした。

それと大学進学というなんだか目に見えないプレッシャーみたいなものから逃げたいという気持ちもあった気がします。

高校中退後

母親はずっと泣いていました。
なかなか高校を中退したことを許してくれませんでした。

長年、単身赴任だった父親はこの出来事のあとに仕事を退職しました。
「初めての子育てだから、うまくできていなかったらごめんな」そんな風に父親に言わせてしまいました。
僕はこんな素敵な人の子供なんだと嬉しい気持ちになれたのを覚えています。

父親が高校を中退するために出した条件は何らかの職人になることでした。
勉強が嫌いならば、自分にできることをやってみなさいとのことでした。
僕は素直に従いました。

クラス担任の先生と学年主任だった先生は転校もできると何度も引き止めてくれました。
でも、辞めるっていう気持ちはブレませんでした。
最後の登校日はすっきりした気分で笑っていられました。

人にはいろいろなタイプの人がいます。
僕は自分に素直になってやってみただけです。
結果、家族に多くの迷惑をかけたことを反省しています。

でも、やっぱりあの時行動してみて良かったです。
周囲にどう思われようと、自分で満足できるかどうか、それが大事と今でも思っています。

周囲のみんなと同じように進学したり生活することが何でできないのですか、というその当時の当たり前の固定観念みたいなものを、僕はこの時に捨てられた気がしています。

僕は周囲の同級生よりもゆっくりと回り道をして生きたかったのかもしれません。

やりたいことが見つかったら人生はとっても短く感じますけど、見つからない時はものすごく長く感じますもんね。

ではでは。